もくじ
謎の返答
「これから帰るよ!何か買って帰るものある?」
ぽんさんが休みで家にいて、私が会社へ出勤している日のこと。
仕事終わりに、家にいる夫・ぽんさんに送ったLINE。
たぶん、3秒くらいで済む質問だったと思う。
冷蔵庫の中を思い出して、「あ、牛乳切れてたな」とか、「サラダが足りなそうだから適当に買ってきて」っていう、あのやり取り。
でも、返ってきたのはちょっと意外なメッセージだった。
「今日の晩ごはんはラーメンにするよ!」
……あれ? 私、今日のメニュー聞いたっけ?
一瞬、頭の中に「???」が浮かぶ。
いや、そうじゃない。私は「何か買って帰るものある?」って聞いたんだよね?
話がかみ合わない、あのモヤモヤ
ぽんさんと暮らしていると、こういう「話がすれ違う瞬間」に、たびたび出会う。
質問に対する返事が、なんだかずれている。
しかも、その返しが本人の中では“ちゃんと答えている”と思っているから、こっちがモヤモヤしてしまう。
「なんで、そうなるの?」
以前の私なら、ちょっとイラっとしていたかもしれない。
いや、正直今でも時間がない時はイラッとすることもある。
だけど、ぽんさんの「思考回路のクセ」を知ってから、理解できずに苦しくなる…ということは少なくなった。
本人に確認してみたら…
帰ってからぽんさんに、「私”買って帰るものがあるか”を聞いたよね?なんで“ラーメンにする”って返したの?」と聞いてみた。
すると、彼は少し考えたあと、こんなふうに答えてくれた。
「“何か買って帰るものある?”って聞かれて、ごはんのことかな?って思った。
で、今日は家に材料あるし、買ってきてもらうものはないなと思って。
だから、今日はラーメンにするよって伝えようと思ったんだよね」
なるほど。
つまり、思考の流れとしてはこうだったらしい。
「何か買って帰るものある?」
↓
「うーん…ごはんのことかな?」
↓
「今日は家にあるもので作れるな」
↓
「だから何もいらないな」
↓
「あ、じゃあ何作るかを伝えよう」
↓
「ラーメンにするよ!」
……なるほど、の一言だ。筋は通っている。
でも、私の質問に対しては直接的な返答になっていない。
この「ズレ」が、私を戸惑わせる原因だった。
ADHDの「連想のジャンプ力」
こうした“会話の飛び方”は、ADHDの特性によるものかもしれない。
ADHDの人は、頭の中で連想が次々に浮かび、どんどん思考がジャンプしていく。
ぽんさんも、まさにそう。
話をしていても、突然違う話題になることがある。
でも、話をよくよく聞いてみると、「そこに至るまでの連想の道筋」が、ちゃんとある。
その思考のジャンプには、本人なりの“つながり”があって、決して適当な返事をしているわけではない。
だから、ぽんさんに聞く前に(なんで今〇〇の話をしてたのに、突然△△の話が始まったんだろう?)と考える。
そうすると、面白いことにだいたい〇〇と△△の間にたくさんの関係性の細い線が見えてくることが多い。
ぽんさんの中では××が印象に残っていて、だから××に関連する△△の話を思い出して今始まったんだろう、とか。
軽い推理ゲームみたいな感じ。
私の“思考の常識”との違い
一方で、私はどちらかというと「質問にはストレートに答える」タイプ。
「Aと聞かれたらAについて返す」のが会話の基本だと、ずっと思っていた。
だから、「何か買って帰るものある?」には「〇〇を買って来て」か、「何もいらない」か、そのくらいの返答を予想していた。
そこにきて「ラーメンにする」と返されると、ちょっとびっくりする。
でも、それはぽんさんに悪気があるわけでも、会話を適当に済ませてるわけでもなかった。
むしろ、「ちゃんと答えよう」と、ぽんさんなりに考えた結果だった。
ぽんさんの“やさしさ”に気づいた瞬間
そして気づいたことがある。
「今日はラーメンにするよ」って、いう返事は、ぽんさんなりに私に“安心”を伝えようとしてくれたんだな、ってこと。
「晩ごはんのことはもう考えてあるよ」
「買い物の心配は要らないからね」
「帰ってきたら、温かいラーメンが待ってるよ」
そんな、言葉にはしなかった気遣いが、そこに込められていたのかもしれない。
会話のズレに、イラっとしたら
「話がかみ合わない」
「質問に答えてくれない」
「意図が伝わらない」
ADHDの特性を持つパートナーと暮らしていると、そんなモヤモヤに直面することがある。
だけど、その“ズレ”の奥にあるものを見ようとしたとき、ちょっと違う景色が見えてくる。
彼らは彼らなりに、私たちの言葉を受け止めて、考えて、返してくれている。
ただ、その返し方が少し…ユニークなだけ。
決して悪気はないし、真剣に答えてくれている。
それを忘れないで、でもこちらだけ我慢するのは疲れちゃうから、せめて「なんでそうなったの?」だけは知っておけたらいいと思う。
その人のクセを知ることができたら、きっと理解できなくて苦しい思いをすることも減らせるから。
少なくとも、私はそうだった。
言葉の裏にある“思い”を、今日もそっと受け取る
ぽんさんの「ラーメンにするよ」は、「???」の後、今日も私の心をちょっとほぐしてくれた。
何気ない一言の裏にある思考を、ちょっとだけ“翻訳”してみる。
それだけで、見えてくる愛情や優しさがあるのかもしれない。
きっとこの先も、「なんでこうなった?」というやりとりはいっぱい生まれるはず。
だけどその裏には必ず、ぽんさんなりの思いが隠されている。
それをできる限り拾い集めて過ごしていきたい。