違和感のはじまり
「あれ?」
シンプルにそういう違和感とも疑問ともつかない瞬間が、結婚前から何度もあった。
元々温厚で優しい人だったので、(天然だな)とか(不思議なところあるよなぁ)くらいにしか思っていなかったけれど、結婚前のある日ふと思った。
これ、もしかしたらADHDかもしれない。
ぽんさんは人間関係を深く狭く築くタイプで、浅く広く付き合うのが得意ではなかった。
興味のない人の話は全然覚えていない。
…と、ぽんさん自身も自覚していて、自分でそう話していたことも何度かあった。
でも私としては、自分の話したことを忘れられるとやっぱりちょっと悲しくて。
(つまり私に興味がないってことでは…?)と、ひとりで落ち込むこともあった。
また、夫がスマホを見ている時に普通の声量で話しかけても、全く反応しないことがあった。
だいたい当時彼がハマっていたモン〇トに熱中している時だったんだけど、無視しているというレベルじゃなくて、本当に耳に入っていない感じ。
その後私が怒ってもぽんさんはきょとんとしていて、「集中すると本当に耳に入らないんだな」と思って、私は諦めるようになった。
確かに伝えた予定や持ち物を悪気なく忘れていることも多い。
特に決定打はなかった。
でも、そうした一つ一つの小さな積み重ねが、私の中で小さな確信へと少しずつ変わっていった。
気付いてからの葛藤
ADHDという言葉は元々知っていたけれど、誰かに「あなたもしかしてADHDじゃない?」と言ったことはない。
言葉を一つ間違えたら傷つけたり怒らせたりしてしまうけれど、決して喧嘩を売りたいわけではない。
それに、私はむやみに「あんたADHDでしょ!」と言いたいわけでもなかった。
ちょっと特殊かもしれないけれど、生い立ちや職場の影響で、私は様々な精神疾患を抱える人と関わることのできる機会が多い方だったので、偏見は少ない方だと思う。
自分で知っている限り私に精神疾患はないし、誰かに指摘されたことも特にない。
だから、もしもぽんさんがADHDなら、きちんと診断を受けて自分が困っていることに対して対処法を学び、「どうしたらもっと生きやすくなるのか」を知った方が今後の彼のために良いのではないかと思っただけ。
それに「うつ病の人に頑張れと言ってはいけない」と言われるように、ADHDの人に対して、パートナーである私がどのように接すれば良いのかが分からなくて不安だった。
もしもぽんさんが診断を受けたら、同じ病院に自分も通って相談できるのではという気持ちもあった。
そんないろんな気持ちから、彼に診断を受けてもらいたかった。
ただ、「それをどうやって伝えようか…」というのが最大の壁。
突然発達障害を疑われたら、誰だって良い気はしないだろう。
特に相手は愛する恋人(今の夫)なので、誤解をされるわけにはいかない。
悩み尽くした結果、私はある作戦を立てた。
下準備
今はADHDについて、書籍だけでなくSNSやYouTube等で様々な情報が手に入る。
ADHDは「障害ではなく特性だ」として、良い面が脚光を浴びている情報も多い。
例えば発想が独創的とか、集中力が高いとか、フットワークが軽いとか。
面接の時の「長所と短所」が言い方次第で表裏一体であるように、一見悪く見えるものでも良い言葉で表現できるものもある。
私はそれらを利用して、何かの動画をぽんさんに見せてお喋りする時間に、時々そういう情報を混ぜた。
「ADHD」という言葉は口にしていない。
「いろんな人がいるよね」「こういう集中力持ってたらいいよね」みたいな感じで。
怪しまれたくなかった、というより気付かれたくなかったので、ADHDだけではなく全然違うアスリートや外国人特有のエピソードの小ネタなんかも挟んでいた。
ぽんさんは元々誰かを否定する言葉を口にしない。
だから私が見せる動画や情報も、「へー」とか言いながら、大して疑問も抱かずに聞いてくれていた。
こうして、少し大げさかもしれないけれど「世の中にはいろんな人がいて、特徴も千差万別で、それは決して悪いことではないと私たちは思っている」という意識の共有ができたように思う。
「もしかしたらADHDじゃない?」
ぽんさんが仕事であまり疲れていない、比較的気持ちに余裕がありそうな日を選んだ。
休日の夕方、この後二人で話す時間をとるには十分で、どうにもならなくなったら寝てしまえる時間帯。
「怒らないで聞いてほしいんだけど、ADHDかもって今まで言われたことある?」
「ADHD?って何?」
怒る怒らない以前に、ぽんさんはそもそもADHDを知らなかった。
気になることはすぐに調べてくれるので、すぐに色々と調べた結果、「マジか…」と戸惑った様子。
発達障害という言葉を見てショックを受けた様子も、否定したい雰囲気も、その上で「色々当てはまっちゃってる自覚」がある様子もあった。
できるだけフォローはしてみたけれど、思ったよりも落ち込ませてしまった…というのが正直な気持ち。
やっぱり時間が必要だった。
そしてやっぱり、時間という解決策は偉大だった。
その後しばらくぽんさんは色々と調べていたようだったが、ある日LINEが来た。
「仮に俺がADHDだったら別れたい?」というものだった。
二人のこたえ
私の中で答えは決まっていた。
ADHDという診断があろうがなかろうが、これまで一緒にいて、これからも一緒にいたい夫であることに変わりはない。
ぽんさんのことが大切だからこそ、もしもそうならちゃんと診断を受けて、適切な治療を受けてほしい。
だから、ADHDの診断があってもなくても一緒にいると迷わず伝えた。
「それを聞いて少し気持ちが楽になった、ありがとう」と言ってくれて、少ししてからぽんさんは診断を受けてみると言ってくれた。
それを聞いて心底ホッとしたのを覚えている。
診断を受けてくれることもそうだけど、切り出した私の気持ちを理解してくれたことがすごく嬉しかった。
診察の日、病院には私も一緒に行って、外で診察が終わるのを待っていた。
戻って来たぽんさんが見せてくれた診断結果の書類は、予想通りADHDの結果。
さらに、ASDの傾向もあるということで、これは予想外の産物だった。
さすがに診断を受けたらショックかな…と思ったが、彼は思いのほか明るかった。
診察前までは不安だったけれど無事に終わって、そして何より「こういう局面で苦労するのはこの特性だからだ」という説明がついて少しホッとしたらしい。
それだけでも診断を受けてよかったと思えた。
新たなはじまり
ADHDには改善を見込める薬があっても、ASDには薬がない。
だからもう、一言で言えば上手く付き合っていくしかない。
診断を受けたことによって、私たちは新たなヒントをたくさん得ることができた。
ぽんさんは「なぜ皆できることが自分はできないんだろう」というような自己否定を少し減らすことができたし、私も彼がADHD、ASDだと分かって一緒に生きるための工夫を考えるきっかけとなった。
話し合うことで、私がただ「疑う」のではなく、「支え合う」ために診断を勧めたかったのだと気付けた。
何より、伝え方次第で心はちゃんと届くこともある。そう実感した。
パートナーや家族が「もしかしたらADHDかも…」と思っていて言い出せない方にとって、少しでも参考になりますように。
ここでは当時の彼のことを「ぽんさん(または夫)」と呼ぶことにします。
現在は私の夫ですが、当時はまだ恋人でした。