ADHDのある夫が鍵をなくさなくなった理由。習慣化のきっかけは“お気に入り”

鍵がない!は我が家の朝の風物詩

「鍵がない!」は、かつて我が家の朝の風物詩だった。

一緒に出かける準備をしていると、なぜか決まってぽんさんが……あれ? 鍵どこいった?と呟く。
そこからが勝負だ。
家中を見回し、ソファの隙間を覗き、昨日脱いだズボンのポケットを漁り、最終的には「鞄の中のちっちゃいポケットの中にあったわ!」みたいなオチがつく。
いや、最初からそこ見てほしい。

出発直前に鍵を探すことが日常だったから、「え、もう電車の時間ギリギリなんだけど!?」と私まで巻き込まれて焦る。
出かけるたびに小さなイベントが毎回発生していた。

「今日はいいや」で始まった謎の責任感

ある朝のこと。
ぽんさんが私より早く出勤する日で、私は洗面所で顔を洗っていた。
リビングから「鍵が見つからん!」という声が聞こえたので、またかと思いながら「頑張って探してー」と声をかけた。

しばらくして、ぽんさんは「もう時間がないから今日はいいや!」と、鍵を持たずに家を出て行った。
……「今日はいいや」ってなんだ?
戸惑っている私の元へ、数分後にLINEが届く。
「適当に時間潰して待ってるから、終わったら連絡してー!」

その日、私は仕事中ずっと「なるべく早く終わらせて帰らなきゃ!」という謎のプレッシャーと戦っていた。
別にぽんさんが責めてくるわけじゃないし、怒ってるわけでもないのに、「鍵を持っていない人が帰宅できるかどうかは私にかかっている……」という謎の責任感に襲われてしまうのだった。

もちろん、鍵だけじゃない。

「スマホどこいったっけ?」「財布がない」「印鑑どこ置いた?」
日常でよく使うものすら定位置がないぽんさんの世界は、私にとってなかなかスリル満点だった。

でも、一番困るのはやっぱり「鍵」だ。
鍵が見つからないと、出かけられないし、帰ってこられなくなる。
日常のインフラと言っても過言ではない。

せめて、鍵だけでも

だからある日、私は思った。
「せめて鍵だけでも定位置を作ろう」と。

その日から、玄関の棚の上にトレイを置いた。
元々私がアクセサリー入れのために使っていた小さなトレイ。

「帰ったら、ここに鍵置いて」と提案した。
帰ったら、トレイに鍵を置く。
それだけのシンプルなルールだ。

最初は忘れることもあった。
「あれ? 今日どこに置いたっけ……?」とまた家の中をうろうろするぽんさん。
でも、トレイに鍵を置く習慣が少しずつ定着してきて、私は密かにガッツポーズを決めていた。

お気に入りのトレイが持つ力

それから少しして、二人で出かけた雑貨屋さんで、ぽんさんと私の好みにぴったり合うトレイに出会った。
本革使用で、どこか落ち着いた雰囲気もありつつ、ちょっとだけ遊び心のあるデザイン。

「これ、鍵トレイにどう?」
「いいね!これ、好き」
そんなやりとりの末に、新しいトレイを迎え入れた。

それが意外と大きかった。

不思議なもので、「自分で選んだお気に入りのトレイ」に変えた途端、ぽんさんの「鍵を置き忘れる率」がグンと下がったのだ。
気に入ってるからこそ、ちゃんと使いたくなる。
置きたい場所ができるって、こういうことなんだなと実感した。

トレイ or 鞄、探す場所が決まっている安心感

とはいえ、全てがスムーズにいったわけではない。
私と一緒に帰宅すると、鍵は使わない。
つまり、ぽんさんの鍵は鞄にしまわれたままになる。
次に一人で出かけるとき、「トレイに鍵がない!」とまた騒ぎになる。

でもある日、ぽんさんが言った。
「トレイにないってことは、鞄にあるってことだよね」

この気づきが大きかった。
鍵のありかが「トレイ or 鞄」の二択に絞られただけで、探し物ストレスは激減した。
もうソファの下を覗いたり、冷蔵庫を開けたり(←なぜか探す)洗濯機を覗き込んだりしなくてよくなったのだ。
あの頃と比べると、今はぽんさんが鍵をなくすことはほとんどなくなった。

忘れ物を「減らす」という現実的な工夫

私はこの体験を通して思った。

ADHDの特性で「物の定位置がない」「よく物をなくす」ことは、本人の努力不足ではなく、脳の特性だ。
だから「しっかりしてよ!」ではなく、「忘れてもいいように仕組みを作ろう」の方がずっと現実的。

ぽんさんのために用意したトレイだったけれど、気づけば私の鍵やサングラスもそこに置くようになっていた。
人間、定位置って便利なんだなと実感。

もちろん完璧ではない。
たまにしか使わない印鑑とか、週のはじめにもらった書類とか、「あれどこやったっけな…」ということは今もある。
でも、それは正直、私もある。人間だもの。

鍵に関しては、「鍵がない!」と探し回ることが減っただけで、心の平穏度がものすごく上がった。
外出前のバタバタ劇がないって、こんなに楽なんだなと思う。
私自身が落ち着いて出かけられるし、ぽんさんも時間ギリギリに階段を駆け下りることが減って、少しだけゆとりが持てるようになった。

「物をなくす」はADHDの特性のひとつだけど、完全にゼロにするのは難しくても、「減らす」ことはできるのだなと感じている。
置き場所を決める、ルール化する、自分が気に入ったアイテムを使う。
そんな小さな工夫の積み重ねが、「鍵、ない!」のストレスをじわじわと減らしてくれた。

朝の平和を取り戻した我が家

以前は、ぽんさんが鍵を探しながら「ない!やばい!遅刻するかも!」と慌てていたのが日常だったけれど、最近はその光景を見る機会もほとんどなくなった。
彼にとって「物が見つからない」のは当たり前の出来事だったのかもしれない。

でもそれが日常から減った今、私は密かにホッとしている。
少なくとも、出かけるたびに探し物マラソンをしなくてよくなっただけで、我が家の朝は格段に平和になった。

いやほんと、鍵って大事なんだよ。