叱ったあとの自己嫌悪と、膝に飛び乗るベルと。――ADHD・ASDの夫と暮らして思うこと

集中の合間に起こる、ちょっとした“事件”

ぽんさんが何かに集中しているとき。
調べものに没頭していたり、大事な連絡をしていたり、ゲームに熱中していたり。

そんなときに限って、ベルは「やっちゃいけないいたずら」をする。
マットを噛みちぎろうとしたり、ゴミ箱の奥からどうにかしてティッシュを引っ張り出そうとしたり。
集中を妨げられて、ぽんさんは「こらっ!ダメだろ!」と少し強い口調で声を荒らげる。

ベルはビクッとして固まったあと、おそるおそる数歩近づいて、ぽんさんのことをじーっと見上げる。
その目はまるで「なんでそんなひどいこと言うの?」と訴えているようで。

その目を見ると、私でも胸がぎゅっとなる。
「言いすぎた!ごめんごめん!」と思ってしまうような目でこちらを見るから。
ぽんさんは、一瞬で言葉をなくして、ふっと視線を落とす。

「…ごめん…こんなふうに言うの良くないよね…」
もう、とことんトーンダウン。
ぽんさんの肩から力が抜けて、表情はどんよりと曇っていた。

自己嫌悪の波にのまれていくぽんさん

叱ったあとのぽんさんは、ひどく落ち込む。
ベルを傷つけたことへの罪悪感、声を荒らげてしまった自分への嫌悪感。
それらが一気に押し寄せて、自分のことを「最低だ」と責めて落ち込んでしまう。

そして気持ちを切り替えるのが上手ではないので、結構ずっと落ち込んでいる。
私は最初、それを見て「なんでそこまで…」と戸惑った。
しつけのために叱ることは悪いことじゃないし、むしろ必要なこともあるはず。

ベルだって、ずっと怖がっているわけじゃない。
すぐに気持ちを切り替えているようにも見えたし、なんなら「今君怒られてたんだよ?」と言いたくなるくらいケロッとした顔で膝に飛び乗ってくることもある。

私の目から見ると「大したことじゃない」。
でも、ぽんさんにとってはそうじゃなかった。

これはADHD・ASDの特性も影響しているのかもしれない、と感じ始めたのは、それからしばらく経ってからだった。

ADHDの「自己否定スイッチ」は突然入る

ADHDのある人は、ちょっとしたミスや失敗をきっかけに、自己評価が一気に下がることがある。
「またやってしまった」「自分はダメな人間だ」といった思考が、自動的に脳内を埋め尽くしてしまう。

ぽんさんもまさにそうだった。
「ベルに強く言ってしまった」というたった一つの行動が、
「自分は犬に対してさえ優しくできない最低な人間だ」という結論にまでつながってしまう。

冷静になれば「そこまでじゃない」と分かる。
でも感情が暴走すると、思考も一緒に持っていかれてしまう。

これは意志の問題ではなくて、脳の構造の話だ。
本人も苦しいし、「周囲の人」としての私からしても、「どう声をかければいいか分からない」という瞬間が確かにあった。

ASDの「感情の強さ」も、ぽんさんを揺らしているのかもしれない

ASDといえば「感情表現が乏しい」「人の気持ちが分かりにくい」というイメージがある。
でも実際は、感情そのものがとても強く、繊細に感じ取っている人も多い。

ぽんさんもそうだった。
ベルの悲しそうな視線を、ぽんさんは全身で受け止めてしまう。
そして「自分がベルを傷つけた」と、必要以上に感じ取ってしまう。

外からはわかりにくいけれど、心の中では強烈な自己否定の波が起きている。
感情が処理しきれずに、ぽんさん自身を苦しめているように見えた。

そんなぽんさんに、ベルがすること

だけど、そんな沈んだ空気を感じ取って、そっと助けてくれる存在がいる。
ベルだ。

ぽんさんが黙り込んで、視線を落としているとき。
ベルはぴょん、と彼の膝に飛び乗って、しれっと丸くなる。

さっきまで叱られていたのに、そんなことはもう忘れたかのように、ぴったり寄り添って。
叱られていたはずのベルがぽんさんの顔を舐めて、膝でくるくる回って丸くなる。

私はその様子を見るたびに、胸が熱くなる。
「ベルって、本当にぽんさんのことが好きなんだな」と思う。

ぽんさんも、膝の上のベルを見て、すこしずつ顔をゆるめていく。
「大丈夫だよ。ごめんね、ありがとうね」
そんなふうに言いながら、そっと頭を撫でていた。

私にできることは少ないけれど

ぽんさんが自己嫌悪の中に沈んでいくのを見るのは、正直しんどい。
励ましが届かないときもあるし、何を言えばいいのか分からないときもある。

無力感を感じる瞬間は何度もあった。
でも、そんな中でも、私にできることが一つだけあるとしたら。

「そばにいること」と「声をかけること」だった。

「ベルも、もう気にしてないよ」
「止めてくれてありがとうね」
「ぽんさん、ちゃんと優しかったよ」

その言葉が、いつかぽんさんの心に引っかかって、自己否定を食い止める“杭”になってくれたらいいと思っている。
今すぐじゃなくても、その言葉がじわじわ効いて、ぽんさんをちょっとずつ軽くしてくれたら。

私は、これからもそう信じて、声をかけ続けていこうと思っている。

わたしたちの暮らしのリズム

私とぽんさんとベル。
この3人の暮らしは、完璧じゃない。
叱ることもあるし、落ち込むこともあるし、自己嫌悪で口をきかなくなることだってある。

でも、誰かが沈んだときに、誰かがそばにいる。
そうやって、バランスを取りながら暮らしている。

ベルのいたずらに怒って、落ち込んで、でもまた笑って。
その繰り返しの中にある、小さなやさしさと、ぽんさんの繊細さと、ベルの大きな愛情。
その全部が、私にとってはとても愛おしい。