もくじ
落胆と自己嫌悪
「またやらないのか」
「言ってたことと違うじゃん」
「口だけで、結局何にもしないじゃん」
そんなふうに思ってしまう自分が嫌で、「心が狭いのは私のほうかもしれない」と落ち込んだことが何度もあった。
ぽんさん(夫)は、ADHDとASDの特性がある。
計画を立てて実行することが極端に苦手で、しかも新しいことにすぐ飽きる。頭の中はいつもフル回転で、次から次へと別のことを考えてしまうから、最初の「やってみる」は3歩歩くと忘れてしまうようだった。
私がいろいろ考えて提案して、「なるほど!そうだね、それやってみるよ」とその場で納得してくれたことも、次に話したときには「え?あぁ、それね……まあ、今ちょっと忙しくて」と曖昧な返事。
思い切って再確認してみても、「あ、うんやるつもりだよ」と言うだけで何もしなかったり、「うーん、まあ…でも今じゃなくていいかな」と濁したりで、やっぱり動かない。
そんな姿に「やっぱりまた口だけだった」とがっかりして、でもそれと同じくらい、自分の「またか」と思う感情にも自己嫌悪した。
自分の感情に嫌気がさす毎日
わかってる。
脳の特性のせいで、できないことがあるって。
悪気があるわけじゃないし、私を困らせたいわけでもない。
努力してるのも、苦しんでるのも知ってる。
それでも、
「また私の言葉、響かなかったな」
「一生懸命考えて話したのに、スルーされた」
「この人、本当に私の話、聞いてるのかな?」
そんな気持ちになって、落ち込んで、そんなふうに思ってしまった自分にさらに落ち込んで。
「心が狭い」
「わかってあげられない私は、だめなパートナーだ」
「この人は病気なのに、なんで私はこんなにイライラしてるの?」
そんなふうに、自分を責めてしまう日々だった。
ASDやADHDのパートナーに見られる「カサンドラ症候群」
こうした状態は「カサンドラ症候群」と呼ばれることがある。
カサンドラ症候群とは正確な医療用語ではないけれど、主にASD(自閉スペクトラム症)などの特性を持つパートナーとの間で、感情のやりとりがうまくいかず、孤独感や無力感、抑うつ状態に陥ることを指す言葉。
周囲からは理解されにくく、「誰にもわかってもらえない」と感じるのが特徴でもある。
もともとはASDの人のパートナーに見られる精神的孤立の状態を指す言葉だけれど、ADHDやアダルトチルドレン(AC)など、感情のキャッチボールが難しいパートナーと暮らしている人にも、同じようなつらさが起こると言われている。
例えば:
会話がかみ合わない
→「私が言ったこと、伝わってない気がする」
→「私だけが空回りしてる」
提案しても動かない
→「結局また私の努力が無駄になった」
→「響かない言葉しか言えてないのかな」
不安や怒りを感じても共有できない
→「この人、何も感じてないの?」
→「感情を共有できないことがこんなにつらいなんて」
理解してもらえないのがつらい、よりも、「同じ空間にいるのに、心が届かない」ということのほうが何倍もしんどかった。
「諦め」が少し、心を楽にした
正直に言うと、今も私はこの問題を解決できていない。
ぽんさんは今も、いろんなことを忘れるし、やるやる詐欺だし、「なるほど!」と納得してくれてるのに結局やらない、なんてことは多い。
だけど、少しずつ「この人は変わらないんだ」と諦めるようになった。
そして、「それはぽんさんが悪いわけじゃないし、私も悪いわけじゃない」と思えるようになってきた。
そう思えたとき、心が少し軽くなった。
自分の感情は「間違ってない」
以前の私は、イライラしている自分が「間違っている」と思っていた。
でも今は、「つらい」と感じることそのものは、悪いことじゃないと思っている。
だって、本当に努力してるから。
本当に好きで大切に思うから。
それでも報われないと感じることがあるのは、当然だ。
「口だけで何もしない」と思ってしまう日があってもいい。
「そんなふうに思ってしまう自分が嫌だ」と感じることがあっても、それも自然な感情だ。
それを認めてあげること、自分の感情を否定しないこと。
それが、カサンドラ状態から少しずつ抜け出す第一歩だった。
気を抜けば、私もまたカサンドラに陥る
正直、今も私はカサンドラ症候群の“予備軍”だと思っている。
ぽんさんとの暮らしの中で、疲れ果てて、無力感に包まれる瞬間はまだある。
でも、そんなときに思い出したい。
私が苦しいのは、誰のせいでもなく、「わかり合いたい」と願っているから。
その気持ちは間違ってないし、きっと同じような人たちが、世の中にたくさんいる。
辛い時、そんなふうに自分に言い聞かせる。
まるで知らない誰かと痛みを分け合うように。
もしこの記事が、そんな誰かの心に「わかるよ」と寄り添えたら。
誰かの「つらい」という悲鳴を上げる心に、少しでも安らぎを与えることができたら。
それは私にとってこの上なくうれしい。