もくじ
「無視されてる?」と感じた日々
「ぽんさんって、時々無視するよね」
昔、私は本気でそう思っていた。
まだぽんさんがADHDだと知らない頃のこと。
たとえば私が夕飯の献立について「晩ごはん、カレーとシチューどっちがいい?」と聞いたとする。
返事がない。
隣にいるのに何も言わない。
聞こえてなかったのかな?ともう一度聞こうとしてやめる。
聞こえてないフリを、無視をされているのかもしれない。そんな気がして悲しくなる。イライラする。
どうして無視するの?せめて「今忙しい」とか「どっちでもいい」とか言ってくれたらいいのに。
私にとって、無視されるのはものすごくつらいことだった。
蔑ろにされている気もするし、私よりも目の前のゲームやら動画やらを優先されているように見える。
不機嫌アピール…いわゆる「フキハラ」をしはじめたのかと思ってしまうこともある。
二人でいるのに、一人が会話を放棄したらどうにもならない。
私ばかりが我慢しているように感じていた。
ぽんさんの「ごめん」が信じられなかった
そんなやりとりが続いたある日、私は我慢の限界を迎えた。
ちょっと怒った口調で「話しかけたのに無視されるのはすごく悲しい」って伝えたら、ぽんさんは少し困ったような顔で、申し訳なさそうに「ごめん、無視してるつもりはなくて、聞こえてなかった」と言った。
でもそのときの私は、それを“苦しい言い訳”にしか捉えられなかった。
「聞こえてなかったって、そんなわけないじゃん。すぐ横にいたのに。話しかけたタイミングで画面見てただけじゃん。絶対に聞こえてたはずだよ」
そう思っていた。
でも実際には、ぽんさんの「聞こえてなかった」は本当だった。
本当は“無視”じゃなかった
ADHDの特性として、「マルチタスクが苦手」というものがあるらしい。
注意のコントロールが難しくて、ひとつのことに集中していると、他の刺激に気づきにくくなる。
ぽんさんの場合、それがYouTubeやゲームだったり、スマホだったりする。
話しかけても聞こえていない。
それは「聞こうとしていない」わけではなく、「聞こえない状態」に入り込んでいたのだと、あとから知った。
ADHDの特性を知って変わったこと
ADHDかもしれないと気付いてから、様々な情報に触れて、ぽんさんも自覚したらしい。
ぽんさんは自分の感覚をもっと丁寧に話してくれた。
「ちゃんと話を聞きたい気持ちはあるけど、ひとつのことに集中してると、それ以外の音が耳に入ってこない感じなんだよね」
あの時ぽんさんが「気をつける」と言ってくれたのは、私を悲しませたくなかったからだと思う。
だけど、それは努力でなんとかなる話じゃなかった。
努力して集中するターゲットを私に切り替えればできることかもしれないけれど、それは本人への負担と疲労感がすごいみたい。
今思えば、無理をさせていたのは私のほうだったのかもしれないと後で知ることになった。
「返事がない」は、聞こえてないだけかもしれない
話しかけて返事がない。
でも5秒くらい経ってから「ん?」と返ってくることもある。
あるいはもっと時間がたって、私が傷ついて、もう返事を諦めて夕飯の支度を始めたころに、「あ、カレーでいいよ」と返事が返ってくることもある。
私はびっくりする。
「え、なにそれ、いまさら!?さっき無視して終わった話なのに!その時差なんなの!」
「聞こえてんじゃん!もっと早く返事してよ」
…と思うことも少なくない。
でも、これもADHDの特徴らしい。注意のフォーカスが切り替わるまでに時間がかかることがあるのだという。
たった5秒。でもその5秒が、私にとっては長い。
「無視された」と感じて傷つくには、5秒あれば十分だった。
イライラが減った理由
けれど今は、少し楽になった。
返事がないことにイライラしたり、悲しくなったりすることが、前より減った。
たぶんそれは、「ぽんさんが無視してるわけじゃない」と分かったからだと思う。
それまでは、「返事が返ってくるのが普通」と思っていた。
だから返事がなければ「無視された」と思ってしまっていた。
でも今は、「返事がない=無視されたわけじゃない」と知った。
だからそもそも“返事がすぐに返ってくる”ことを前提にしていない。
どれだけ近くにいようが、聞こえていないかもしれないから。
だから、もし返事がなかったら、「聞こえなかったかな?まぁいっか」くらいに思って、さっさと自分の作業に戻る。
それで後からぽんさんが「ん?なんか言った?」と聞いてきたら、そのときもう一度伝えればいい。
そういうふうに、やりとりのテンポを私の基準から少しずらすようになったら、ぐっと気持ちが軽くなった。
理解することで、優しくなれた
もちろん、完全にストレスがゼロになったわけじゃない。
「また聞こえてないのか」と思ってため息が出る日もある。
でも、少なくとも「どうして?」と責める気持ちは、あまり湧かなくなった。
無視じゃなかったんだ。
あのとき私が何度も「せめて反応して」とお願いしていたこと。
ぽんさんはできる限り応えようとしてくれていた。
でも、本人にとってはすごく頑張ってやってたのかもしれない。
それに気付けたのは、ADHDの特性を知ったからだった。
知ることは、理解につながる。
そして、理解することで、ほんの少し優しくなれる。
今でもぽんさんは、突然YouTubeに没頭して、私の話をまったく聞いてないことがある。
でも私は、あのときよりずっと、冷静でいられる。
私たち夫婦の会話のテンポは、一般的なそれとはちょっと違う。
でも、ちょっと違うくらいが、私たちらしくていいのかもしれない。