もくじ
突然消える「やる気」
「やりたくてたまらなくて買ったゲームが、気づいたらもうやらなくなっていた」
そんなぽんさん(夫)の動きに最初に気付いたのは、ずいぶん前だった。
クリアしたのかと思えばそういうわけでもない。
私は、「途中で面白くなくなったの?」と聞いた。
「いや、そういうわけじゃないんだけど…なんか、急に、いいかなって思って」
ぽんさんは、そう言って首を傾げていた。
たとえば、ずっと楽しみにしていた新作のゲーム。
「これ面白そう!やりたい!」と発売日に買ってきて、しばらくは毎晩のように夢中になっていた。
でも、1か月ほどで急に触らなくなり、やがてプレイデータは放置。
別にクリアしたわけでも、飽きたと自覚があるわけでもないらしい。
「なんか…興味がなくなったっぽい」と、どこか他人事のように言う。
私は元々あまりゲームをやらないので、「まあ、そんなものなのかな」と思っていた。
そんな私が衝撃を受けたのは、結婚前のある週末の出来事だった
映画館に向かう途中でまさかの一言
それは、週の初めに「今度の土曜、映画行こうか」と話して決めたデートの日だった。
私が行きたいと言っていた映画で、ぽんさんも「いいねー」と賛成してくれていた。
時間を調べたり、出ている俳優さんを調べたりして、それなりにワクワクしていた…はず。
当日の朝。
なんとなくぽんさんの様子が変だな?と感じた。
口数が少ないし、テンションも低い。
「ちょっと眠いのかな?」くらいに思いながら、私はせっせと身支度を進めていた。
そして家を出てしばらく歩き、電車に乗るために改札を通ったところで、ぽんさんがぽつりとこう言った。
「……やっぱ今日、行くのやめない?」
え?は?? え???
いやいや、え? 今? ここで? もう改札通ったんだけど????
思わず「もっと早よ言え!!!!」と心の中で叫んだ。
というか、声に出てたと思う。たぶん。
「なんとなく」じゃ納得できない
当然、私は不機嫌になった。
ぽんさんはそれを察して、だんだん不機嫌になった。
そうして、軽く冷戦状態に突入した。
「なんで?行きたくないならもっと前に言ってよ」と言っても、ぽんさんはうまく説明できない様子だった。
「うーん…なんか、気持ちが乗らなくなったっていうか…」
「じゃあ昨日までは乗ってたの?」
「うーん……うん?」
……この“うーん”がまた火に油を注ぐのだ。
要は、朝からなんとなく行きたい気分じゃなかったらしい。
でも私が当然のように出かける気分でいたので言い出しにくかった。ということだ。
元から約束していたのだから当然だ。
それならそれで黙って映画に行けばいいのにと思うけれど、よほど気分が乗らなかったのだろう。
当時は、ぽんさんがADHDだとは知らなかった。
「ドタキャンするなんて、私の気持ちを軽く見てるのかな」と思ったし、「やる気がないなら最初から言わないでよ」と、腹も立った。
けれど後日、私から歩み寄って冷戦を終わらせた。
「楽しみにしてたから、悲しかったんだよ。ああいうのはやめてね。前日とか、せめて出かける前に言って」
ぽんさんは、申し訳なさそうに「うん…わかった」と頷いていた。
ADHDの「飽きっぽさ」とはちょっと違う
後から知ったのだけれど、「突然興味を失う」というのは、ADHDの人によくあることらしい。
「注意欠如・多動症」という名前の通り、集中力が続きづらかったり、刺激を求めて気が移りやすかったりする。
ぽんさんは飽きっぽさもあるし、刺激を求めるところもある。
そして「えっ、さっきまで盛り上がってなかった?」というタイミングで、突然スイッチがオフになる。
それは本人の意志でどうこうできるものではなく、「もうそのモードになれない」というような感じ。
まるで、その興味を保っていた神経回路ごとどこかへいってしまったかのようだ。
この特性が出る場面は人によって違うし、強弱もある。
でも、「急に行けなくなる・やれなくなる」というのは、決して「怠けている」とか「相手を大事にしていない」からではないのだ。
とはいえ、それを知らなければ「なんでそんな無責任なことするの?」と思ってしまうのも自然な反応。
私も、知らなかったときは何度もぶつかった。
だってこちらからすれば、気分一つで約束を反故にされるなんてたまったもんじゃない。
だけどぽんさんにしてみれば、どうにも気分が乗らないのに強要されるのも嫌なのだろう。
今は「約束しない」で乗り切ってるけど
映画デートの一件もあって、私たちはある時期から「数日前から決めるデートは極力しない」ようになった。
これは逃げの一手かもしれないけれど、今のところ一番平和に過ごせる方法だ。
「今日どうする?」と当日の朝に話し合って、「行けそうなら行こうか」と決める。
なんだか学生の放課後みたいだけど、それくらいのゆるさの方がうまくいくこともある。
ただ、これも完璧ではない。
当日でも突然スイッチが切れてしまうことはあるし、私がそれを受け止めきれないことだってある。
解決したとは言えないけれど、「そういうことがある人なんだ」と知っているだけで、ずいぶん気持ちはラクになった。
今も「困ってる」けど、歩いている
ADHDの特性って、目に見えないぶん誤解されやすい。
その人の「わがまま」や「だらしなさ」だと受け取られがちだし、本人も「またやってしまった」と自分を責めてしまう。
でも、責めるよりも「どうしてこうなるんだろう?」「どうしたらもっと良くなるだろう?」と一緒に考えた方が、お互いにとって優しい。
ぽんさんと暮らしていて思うのは、「理解しようとする」ことと、「割り切ってしまう」ことのバランスが大事ということだ。
理解しようとしてもわからないこともあるし、全部を飲み込むのは難しい。
でも、「そういう日もある」と思えるようになるだけで、ほんの少し世界が平和になる。
まだまだ困っていることはある。
でも、それを笑い話にできるくらいには、時間がたった。
今日もたぶん、ぽんさんはどこかで突然スイッチが切れている。
そして私は、ちょっとだけイラッとしながら、まあいっかと思っている。