もくじ
感情のコントロールが苦手だったぽんさん
ぽんさんは昔、感情のコントロールがとても苦手だった。
「怒りっぽい」とか「ヒステリック」というのとはちょっと違って、感情を爆発させるまでにかなり時間がかかるタイプだった。
だけど、その「爆発」がとにかく激しいのだ。
長くため込んだ火山の噴火はすごく大きいというけれど、すごくそんな感じ。
「いい人」として我慢していた日々
普段はとても穏やかで、他人への愚痴や不満をほとんど口にしない。
だから、周りから見れば「いい人」だった。
何を言ってもニコニコしていて、揉め事を避けて通るような人だった。
でもそれは、表面上のことだった。
本当は、我慢していた。
小さな不満や、違和感や、モヤモヤをずっと飲み込んで、どこかで「こんなことで怒っちゃいけない」とか「言ったら相手を傷つけるかもしれない」と思っていた。
怒りの爆発とその後にくる自己嫌悪
そうして何も言わずに抱え込んで、ある日、限界がくる。
そして怒りに任せて爆発する。
しかも、一度噴き出すと止まらない。
必要以上に強い言葉を使ってしまったり、言わなくてもいいことまで一気に吐き出してしまったり。
結果として相手を深く傷つけてしまう。
私は、その爆発を横で見ていたことがある。
ぽんさんの爆発が向かったのは彼の身内で、私は一歩引いたところから家庭内のゴタゴタを見ていた。
それはもう、台風みたいだった。
いつも優しいぽんさんが、急に怖いくらい感情的になって、こちらの言葉なんてまるで届かない。
本人も混乱状態になっていて、理性的な説得なんて耳も貸さない。というか聞こえていない。
でも、もっと苦しんでいたのは、ぽんさん自身だったと思う。
爆発してしまったあと、自己嫌悪に陥る。
「またやってしまった」「言いすぎた」「あんな言い方しなければよかった」と何度も繰り返す。
怒りをぶつけてしまった相手を責めることはなく、責める矛先はすべて自分に向く。
「怒りはいらない」と思っていたぽんさん
「怒りなんて感情、要らないと思う」と、ぽんさんはよく言っていた。
ぽんさんにとって、怒りは悲しみに近い感情だった。
悲しみは、自分一人で落ち込んで、ひっそりと消化していくもの。
だけど怒りは、誰かに向かって飛んでいく負のエネルギー。
それが人を傷つけたり、関係を壊したりすることもあるから、「そんな感情、持たないほうがいい」と、心のどこかで信じていたのだと思う。
怒り=良くないもの。
怒り=抱くべきではない感情。
そんなふうに思っているように見えた。
怒りを抑えきれなかった自分を恥じるかのように。
私が思う「怒り」とは
でも私は、怒りだって人間にとって自然な感情のひとつだと思う。
喜怒哀楽があるからこそ、私たちは人間らしく生きていける。
「怒ってはいけない」なんてことは、決してない。
むしろ、大切な感情をずっと「なかったこと」にしようとして抑え込んでいるから、ある日突然、爆発してしまうんじゃないか…?と私は思っている。
怒ってしまった自分、抑えられなかった感情、冷静さを失ってしまった自分…。
それを思い出すたびに、「怒り」を良く思っていないぽんさんはどんどん自分に自信をなくしていった。
まるで、心の中で自分に「ダメ出し」をし続けているようだった。
そんな負のループから、ぽんさんは今も完全に抜け出せたわけではないと思う。
でも、怒りを覚えるのは人としてごく自然なことだ。
少しずつ「爆発前」に出せるように
今のぽんさんは、「爆発する前に少しずつ出せるようになってきた」と思う。
何かにイライラした時、「ちょっと今日の話、聞いてくれる?」と私に話せるようになった。
言葉にするのが下手だから、話の筋がとっ散らかったり、「何の話してたんだっけ」と突然途方に暮れたり、何に怒ってるのか自分でもよくわからなかったりすることもある。
でも、それでいいと思う。
完璧な言葉じゃなくても、ちゃんと「出せている」から。
「この間さ、あれちょっとムカッときたんだよね」とか、
「ほんの些細なことなんだけど、なんか引っかかっててさ」とか。
そうやって、小出しにできるようになってきた。
ぽんさんが自分の感情を吐き出しているとき、たとえ内容がまとまっていなくても、それはすごく大事な時間なんだと思っている。
かつては、すべてを飲み込んでから「限界」に到達していた。
でも今は、「限界」のだいぶ手前で、ぽんさんが少しだけその感情を外に逃がしてやっている。
その変化は、とても大きい。
「怒り」は、悪者じゃない。
ただ、扱いが難しい感情だ。
ADHDとASD、二重の難しさ
特に、ADHDの特性があると、感情の起伏が強く出ることもある。
興奮しやすかったり、スイッチが急に入ったり、あるいは「反応しすぎてしまう」こともある。
それに、ぽんさんの場合はASD(自閉スペクトラム症)の特性もあって、「自分の感情に気づきにくい」「言葉にしにくい」という苦手さも重なっていた。
「なんで怒ってるのか、よくわからないけど全然冷静になれない」
「普通に考えたら大したことないはずのことなのに」
そんな状態になることも、昔はよくあった。
今は、そこまでには至らない。
小さな「モヤモヤ」のうちに、外に出せているから。
塵を積もらせないで済んでいるから。
感情のコントロールは「我慢」ではない
感情のコントロールって、「我慢すること」だと思われがちだけれど、実際は「我慢しない工夫」なんじゃないかと思っている。
出し方を工夫する。タイミングや相手を選ぶ。言い方を学ぶ。
そのほうが、ずっと建設的だ。
ぽんさんは、今も「言いたくないこと」はたくさんあると思う。
まだうまく言葉にできないこともたくさんあると思う。
でも、それでも「前よりずっと話せているよ」と私は思う。
完璧じゃなくていい。
失敗しながら、ちょっとずつうまくなっていく。
私たちの関係も、ぽんさんの感情の扱い方も、そうやって時間をかけて変わってきた。
「今の、ちょっと引っかかった」それが嬉しい
だから、たまにちょっとムッとしたぽんさんが「今の、ちょっと引っかかった」って言ってくれるだけで、私は嬉しかったりする。
昔のぽんさんなら、絶対に飲み込んでいたはずだから。
今のぽんさんは、ちゃんと「出せている」。
それが何よりもすごいことだと思っている。