会話が噛み合わないADHDの夫と、それでも続けたい会話のキャッチボール

キャッチボールみたいな、ぽんさんとの会話

夏が近づくと、そわそわしはじめる。
高校野球が始まるからだ。あの白球を追う姿に、毎年心を持っていかれる。
ニュースで「甲子園予選」の文字を見かけたり、SNSで出身地の学校の戦績を見つけたりすると、なんだか落ち着かなくなってくるのだ。

私は高校野球が大好きだ。
プロ野球も好きだけど、あの泥だらけで、「今」を全力で駆け抜ける高校球児たちの姿には、特別な感動がある。

ぽんさんと暮らすようになってからも、夏の楽しみの一つはやっぱり高校野球だった。

最初のうちは、ぽんさんはそれほど興味がなかったみたい。
でも、私がPCやスマホで試合中継を眺めながら「おぉー!」とか「うわっ、今の送球うま!」とか、一球一球に反応していると、自然と隣に座るようになっていた。

今では一緒にご飯を食べながら高校野球を観るのが、夏の定番になっている。

ぽんさんの「一緒に応援する」スタイル

「〇〇高校って、私の地元の近くなんだよね」
「この学校、去年惜しいところで負けちゃってさ」
「この子、キャプテンなんだって。すごく努力家らしいよ」

そうやって私が喋っていると、ぽんさんは「ふーん」と頷きながら、気づくと同じチームを応援してくれている。

「おっ、いまのフォアボール大きいね」
「ここで送りバントかな?」
「このピッチャー、ちょっと投球フォーム変わってるね」

決して知識が豊富なわけじゃなかったはずなのに、いつの間にか野球に関するワードがぽんさんの口から出ることが多くなった。
ぽんさんなりに楽しみ方を見つけてくれているのが分かる。
ひと試合丸々観戦に付き合ってくれることも増えた。

私の「好き」に寄り添ってくれる、そういうところが、ぽんさんの素敵なところだなといつも思う。

キャッチボールみたいで、キャッチボールじゃない

そんなある日、ふと気づいた。

ぽんさんとのやりとりって、野球のキャッチボールにちょっと似てる。
でも、ちょっと…変わってる。

私がぽんさんに向かって、下手投げで投げやすいボールをふわっと投げる。

たとえば、

「今日は暑いね~。冷房の温度下げていい?あ、ベルは寒いかな?」

って言うとする。
すると、ぽんさんはしれっとした顔で、

「最近のアイスって、種類多すぎて選べなくない?」

みたいな“魔球”を投げてくる。

うん、キャッチはできる。何とか。
でも、「え、そっち?!」とちょっとよろける感じ。

私としては
「暑いから部屋の温度下げたい」

「ベルは寒いかな、でも膝の上で毛布かぶってるから大丈夫じゃないかな」
もしくは
「温度はそのままで扇風機つけようか」

っていう流れを想定してるんだけど、ぽんさんの思考回路は違う。

「暑いね」

「アイス食べたいな」

「最近のアイスっていろいろあるよね」

「そういえばこの前コンビニで迷ったな」

「あのときの限定フレーバーもう一回食べたいな」

…みたいに、どこか別の世界にワープしてることもある。

会話にも、フォームやリズムがある

野球で言えば、私はストレートを投げたいと思ってるのに、ぽんさんは思いもしない変化球を返してくる。

私はキャッチボールをテンポよくしたいタイプ。
でも、ぽんさんはゆっくり構えて、慎重に考えてから返球するタイプ。
しかも、時にはこっちがグラブを構えたところと全然違う方向にボールが飛んでくる。

毎回キャッチしようと頑張るけど、正直「うーん、これ捕るの難しいなあ」と思うこともある。
「それはもうどう頑張っても捕れねーよ」と諦めたくなることもある。

だけどぽんさんは、意地悪で難しいボールを投げているわけじゃない。
単に私にとってのカーブボールが、ぽんさんにとってのストレートなのだ。

つまりそれは、私がストレートだと思っているボールが、ぽんさんにとってはカーブボールなのかもしれない。
私にとっては普通のことでも、ぽんさんが戸惑うようなことは多いかもしれない。
それでもちゃんとキャッチボールができているのは、互いに相手と向き合おうとしているから。

ぽんさんの投げる“優しさの魔球”

この前、試合を観ながらぽんさんがポツリと言った。

「キャッチボールってさ、相手が捕りやすいように投げるものなんだって。昔誰かが言ってたなあ」

私は思わず、「それ、それなんだよ!」って心の中で叫んだ。

そう、私にとって「会話」もそうなんだ。
言葉のやり取りは、お互いが捕りやすいように投げ合うもの。
だけど、ぽんさんのボールはいつもひねりが効いてて、ちょっと捕りにくい。

「えっ、今のボール、二段階で曲がらなかった?」みたいな気持ちになることもある。
だけど、ちゃんと投げ返してくれてる。
考えて、構えて、ちゃんと受け取ってから、返してくれる。

時にはボールがポトンと地面に落ちることもある。
キャッチし損ねて、なんで急に違うボールが来たのか分からなくて、急いで私から別のボールを投げることもある。
でもぽんさんは気にせず、またキャッチボールを再開してくれる。

少し斜め上のボールでも、ちゃんと投げ返してくれる。
ぽんさんからのボールが届かないこともある。
でも、それでも「投げてくれた」ことが嬉しい。

「野球好き」で繋がった、小さな時間

そんなぽんさんとのキャッチボールにも思える会話が、私は好きだ。
テンポは合わないこともあるけど、どんなに変化球でも、ちゃんと投げ返してくれることが、何より嬉しい。

高校野球を観ている時間は、そんなぽんさんとの“やりとり”をふと思い出させてくれる。

ユニフォームを汚して泥だらけで頑張る球児たちと、ふたりで応援しているこの時間が、
なんだか私たちの暮らしの縮図みたいで、愛おしくなる。

時には泣いたり笑ったり、見返りを求めずにひたむきに頑張る球児たちを、
だからこそ応援したくなるのかもしれない。

「違う球が返ってきた」と思ったら、それは“ぽんさんらしさ”の詰まったボールだった

これからも、たぶん私はストレートを投げて、ぽんさんは変化球で返してくる。
それでもいい。
きっと、その“クセ球”にも、ちゃんと愛が込められているから。

キャッチボールができないよりも、不格好でもいいからキャッチボールができることが嬉しい。
だから私は今日もぽんさんにボールを投げる。

ぽんさんのクセ球は、時々、私の体を直撃してくる。
デッドボールの痛みがつらいこともあるけれど、それでも私は今日もボールを構える。
だって、不器用でもちゃんと向き合ってくれるその姿が、私にとって何より大切だから。

キャッチボールのリズムは違っても、ふたりで投げ合っていけたら、それが一番幸せだなと思う。