「頑張ればなんとかなる」は危ない。ADHDの夫が退職を決めた日

ADHDの夫が1ヶ月で退職した理由

ぽんさんには、ある挫折体験がある。
とある会社に入社して1ヶ月で退職したときのことだ。

もう何年も前のこと。
知人の紹介で、ぽんさんは某大手企業に入社できることになった。
会社のビルは高層で、見上げるだけで緊張してしまうような立派な建物。
「未経験歓迎」「同期入社多数」「一から丁寧に教えます」——そんな言葉に背中を押され、ぽんさんは張り切って新しい職場に飛び込んだ。

実を言うと、私も少し安心していた。
ぽんさんは仕事に対してあまり前向きではなく、「生活するために仕方なく働いている」というスタンスだったから。
「せっかくいい会社に入れたなら、これを機に自信がつくといいな」と思っていたし、ぽんさん自身も「頑張ってみようと思う」と話していた。

未経験歓迎のはずが、冷たい職場だった

ところが入社して数日後、ちょっと合わないかもとぽんさんが言った。
そのときの私は、「せっかく入社したんだし、もう少し様子を見てみたら?」と返してしまった。

その頃、「会社、どう?慣れた?」と私が聞いても、ぽんさんは困ったように笑い、「うーんまぁ…慣れるのはまだかかるかも」と答えていて、私は言葉通りに受け取ってしまっていたのだ。
知人の紹介だったこともあり、ぽんさん自身も「迷惑をかけたら悪い」と思っていて、私も「せっかく大手企業に入社できたのに、簡単に辞めてしまうのはもったいない」と感じていたから。

だけど、現実は想像以上に厳しかった。

ADHDの特性と“合わない環境”の地獄

後からぽんさんに聞いた話だけど、いざ入社してみると「未経験歓迎」とは名ばかりで、同期はほとんどが経験者。
しかも、やる気に満ちた意識の高い人たちばかりだった。
未経験者へのサポートはほとんどなく、分からないことを質問しても冷たい対応をされることが多かったという。

会社のスタイルも、かなり特殊だった。
研修期間中はまるで厳しい学校か軍隊のように「右へ倣え」の世界。
全員が同じ動きを求められ、誰か一人が躓くだけで全体の空気がピリついた。

上司は常に誰かを標的にして、大勢の前で叱責する。
ぽんさんは「自分もいつああなるか分からない」と、初日から緊張で縮こまっていたそうだ。

「すぐ辞めるわけにはいかない」という思いからか、ぽんさんは日に日にやつれていった。

やがて私もぽつりぽつりとぽんさんの口からそうした環境の話を聞くことになり、「それはきつそうだ」と実感することになる。
次の会社のことを考えると早期退職はデメリットになるけれど、本人にとって本当に無理そうなら諦めて逃げた方が良いかもしれないと考えていた頃のことだ。

限界のサイン

朝、ぽんさんが出かける準備をしながらいつものように革靴の紐を結んでいた。
なぜか手間取っているようで、いつもよりずっと時間がかかっていた。
不思議に思って隣に屈み、その手を取ってみると、ひどく冷たくて小刻みに震えていた。
見れば顔は真っ青。

紐を結びたくても、気持ちと身体がちぐはぐで指を上手に動かない——そんな様子だった。
夜も眠れず、朝は吐き気で起きられない日が続いた。
「これはもう限界だ」と私は悟った。

「本当に無理そうなら…」なんて悠長なことを考えている場合ではなかった。
私が気付かなかっただけで、ぽんさんにとってはとっくに限界だったのだ。
私は彼にメンタルクリニックの受診を提案した。

ぽんさんは最初、「そこまでじゃないよ」と戸惑っていたけれど、「今悪化したら、本当にうつ病になってしまうかもしれない。そうなったら、回復には時間がかかるし、働くこと自体がもっと難しくなる」と説得した。
渋っていたぽんさんも最終的には納得し、「まぁ大したことじゃないって言われそうだけど…」とぼやきながらも受診を決意する。

メンタルクリニックの受診と退職の決断

一緒にクリニックへ行き、医師からは「抑うつ状態」と診断された。
診断書をもらい、会社に提出して退職することに。
ぽんさんは退職の話を切り出すことも怖がっていた。
でも会社は退職者に慣れているのか、特に体調を心配したり引き留めたりすることもなく、手続きは淡々と事務的に進み、あっさりと終わった。

ぽんさんは最後まで「申し訳ない」と繰り返していた。
紹介してくれた知人の顔に泥を塗ってしまったんじゃないか——そんな罪悪感を強く抱えていた。
でも結果的に、その知人もほどなくして退職していたと知り、「ああ、やっぱりあの会社は自分以外の人にとってもきつかったんだ」と、少しだけ気が楽になったようだった。

罪悪感と回復までの時間

退職後もしばらくの間、その会社の話題はタブーのように触れないようにしていた。
傷が癒えるまでには時間が必要だった。
でも、今では「朝あんなに震えてたの、やばかったよね」「あの頃と比べたら今はマシかも」なんて、少し笑いながら振り返ることもできるようになった。

あのときぽんさんが退職せず、無理を続けていたら——。
正直、想像したくないほど深刻な状態になっていたと思う。

“働き方”が合っていないだけかもしれない

仕事が続かないことに悩む人は多い。
ADHDの人にとっては特に、「向き不向き」や「環境との相性」が大きく影響する。
ぽんさんは昔から、学校のような「決められたことを決められた通りにやる」のが苦手だった。
あの会社のような“枠の中”の働き方は、どうしても合わなかったのだと思う。

「やりたい仕事」「向いている仕事」が分からない——それは今もぽんさんの悩みのひとつ。
今だって、「こんな仕事がしたいわけじゃないのにな」「まぁ他にしたいこともないからしょうがないけど」と、自分で選んだ仕事になぜか不満を言いながら働いていたりする。

でも、私は思う。
少なくとも、自分の健康を削ってまで働く必要なんてない。
健康とは体だけじゃなく、心もだ。

時々ぽんさんは「あの時もっと自分が頑張って続けていればよかったのかな」と漏らすこともある。
その度に私は自信を持って反論できる。
あの時勇気を出して退職したことは、間違いなく正しい選択だった。

無理に働くより、自分に合う働き方を探して

ADHDという特性を理解すること。
周囲に合わせることは大事だけど、自分を壊してまで合わせる必要なんてない。
それに、その会社にこだわる必要もない。

だから無理に合わせようとせず、自分に合う働き方を少しずつ探していくこと。
その方が、ずっと健やかで長続きするのかもしれない。