ASDの夫と完璧主義|「完璧じゃなくてもいい」と思えるようになるまで
「中途半端にやるくらいなら、やらないほうがマシ」――ASDの夫が抱えていた完璧主義の葛藤。 仕事の中での“マニュアル作り”を通じて見えた、がんばりすぎる心の裏側と、少しずつ変わる価値観。
「中途半端にやるくらいなら、やらないほうがマシ」――ASDの夫が抱えていた完璧主義の葛藤。 仕事の中での“マニュアル作り”を通じて見えた、がんばりすぎる心の裏側と、少しずつ変わる価値観。
多数決が苦手な夫は、「誰も味方がいないのは可哀想だから」と少数派の意見をそっと拾う。 ASDの特性としての「正しさ」へのこだわりと、自分を重ねてしまう感情が、その背景にはあるようだ。
夫は、雑談でいつも頭をフル回転させていた。 失礼がないように、相手に嫌な思いをさせないように——。 雑談がうまくできないのは不器用さじゃなく、優しさの表れだった
傷ついた過去を持ちながらも、家族を恨まない夫。 その姿に戸惑いながらも、私は少しずつ理解していった。 “優しさ”は、ときに本人を守るための術でもあるのかもしれない。
自己啓発本を読むと、なんだか前向きな気持ちになれる。 でも同時に、「できない自分」を突きつけられて、落ち込むこともありませんか? 読書が苦手な夫が、“変わるため”に手に取った本が、 いつしか自分を追い詰める材料になってしまった話です。
引っ越し作業は得意なのに、新しい環境に入ったとたん不機嫌になるぽんさん。 最初は理由がわからなかったけど、ASDの特性と関係があることがわかってきた。 必要なのは、「慣れるまでの時間」だったのかもしれない。
感情をコントロールするって、「我慢」じゃない。 爆発する前に、少しずつ出すことができたら…。 怒りとの付き合い方を見直してきた、夫婦ふたりの記録
言いたいことが言えない。自分の気持ちを飲み込んで、笑ってしまう。ASDとACの特性をもつ夫が、友達との関係に抱える“しんどさ”をそばで見ていて思うこと。
「そんなに気にしなくてもいいのに」「もう忘れなよ」 そう言いたくなる場面は、正直たくさんある。 でも、それを簡単に言えないのが、ぽんさんと私の日常だ。
ASD傾向のある夫・ぽんさんは、誰かの感情に巻き込まれることが少ない。 それでも私の「涙」や「推しへの気持ち」を大切に扱ってくれる。 感情の共有がなくても、そこにはちゃんと“思いやり”があった。
「優しいね」と言われるたび、どこか困ったような顔をする夫。 その理由を、私はようやく言葉にできる気がする。
喋らないのは、冷たいからでも無関心だからでもなかった。 「話したいけど、何をどう言えばいいのかわからない」。 ASDの特性と向き合って見えてきた、ぽんさんの本当の気持ち。