もくじ
「目立たないように」を信条にするぽんさん
ぽんさんは、基本的に「目立たないように」「波風を立てないように」行動することを信条としている。
誰かに迷惑をかけないように、誰かの気分を損ねないように。
ひっそりと静かに、を意識しているように見えた。
ASDの特性として、他者の感情や空気を読むのが苦手だと言われることがあるけれど、ぽんさんはむしろその逆だった。
人の顔色を常にうかがっているようなところがある。
ASDだけじゃ説明できない生きづらさ
その背景には、ASDという特性だけでは説明できない何かがあるように思っていた。
そして、それはやはり彼の幼少期の家庭環境による影響が大きかったのだと思う。
ぽんさんの実家は、複雑な家庭だった。
彼がまだ幼い頃、父親は夜にお酒を飲むと豹変し、暴言を吐いたり物に当たったりすることがよくあったという。
「怒らせないように」「目立たないように」「何も言わないように」——。
そんなふうにして彼は、安全を確保する術を自然と身につけていき、そのまま大人になった。
それが、幼い少年の知る一番安全な方法だったのだろう。
誰も守ってくれない中で、自分の身を守るために、息をひそめて過ごす日々を送っていたのだと思う。
アダルトチルドレンという言葉と重なる過去
私がぽんさんと出会ったのは、社会人になってからだった。
とても穏やかで、優しくて、空気を壊さないようにそっと気を配ってくれるような人だった。
けれど、それは「気配り」ではなく「恐れ」の経験から来ているのだと知ったとき、胸が痛くなった。
彼は、自分の気持ちを後回しにすることが癖になっていた。
我慢が当たり前、甘えることができない、自分は後回しにしておくほうが楽——そんな考え方だった。
これらは、まさにアダルトチルドレン(AC)の特徴だった。
ACとは、機能不全の家庭環境で育ったことによって、大人になってからも生きづらさを抱える人たちのことを指す。
親の顔色をうかがい、怒らせないようにふるまい、無意識のうちに「いい子」「手のかからない子」でいようとする。
ぽんさんは、まさにその典型だった。
音への過敏さに潜む“恐れ”
そしてぽんさんにはもうひとつ、ASDの特性として感覚過敏がある。
中でも、ぽんさんは音に対して非常に敏感だった。
たとえば、ドアを勢いよく閉める音。物を雑に置く音。
そういった少し荒っぽさを感じる音に、彼は強く反応していた。
「なんか嫌なんだよね」
昔、ぽんさんが渋い顔をしてそう言っていたのを思い出す。
以前はASDの特性として「だから音に過敏なんだな」とだけ思っていたけれど、今ならもう少し違った見方ができる。
あの音は、「怒りの気配」だったのだ。
人の機嫌が悪くなる前触れのような音に、子どもの頃からぽんさんは怯え、敏感に反応してきた。
「何か悪いことが起こるかもしれない」という不安をいつもどこかに感じながら過ごしていたのだろう。
そう考えるとぽんさんの「音に対して過敏」というのは、ASDの感覚過敏というよりは、ACとして身につけた危機察知能力に近いのかもしれない。
それでも家族を大切に思う理由
だけど、何より驚くのは——ぽんさんが、そんな家族を一切恨んでいないということだった。
私は、ぽんさんの家庭の話を聞いて「それはもう絶縁レベルだろ」と内心思っていた。
実際、私が同じ立場だったらそうしたと思う。
けれどぽんさんは、違った。
「当時は仕方なかったんだと思う」
「親だって人間だから」
「恨んだって仕方ないし、今さら言っても変わらないでしょ」
そんなふうに、どこか達観しているようなことを言っていた。
謎に悟りを開いている。
理解不能、というのが正直な気持ちだった。
ストックホルム症候群のような優しさ
でも、話をよくよく聞いていくと、ぽんさんには親からの優しさや愛情を感じた瞬間の記憶も、いくつか残っていたのだった。
「本当はいい人なんだよ」
「怖かったけど、優しいところもあったし」
私が腹を立てたり嫌な顔をしたりするたびに、まるでダメ男に惚れてしまった女の子がするような“擁護”を、ぽんさんは口にする。
私は心の中で「それ、ストックホルム症候群じゃない?」と突っ込んでいた。
ストックホルム症候群とは、加害者と被害者の関係性の中で、被害者が加害者に対して同情や好意を抱いてしまう心理状態を指す。
本来であれば逃げ出すべき状況でも、「でもあの人は悪い人じゃない」「私がいてあげなきゃ」と思ってしまうような状態。
DVや誘拐がその代表例だ。
ぽんさんの過去を知れば知るほど、「そんなことまで我慢してきたんだ」と驚かされる。
優しさを守るという選択
アダルトチルドレンになるのも無理はない。というか当たり前だ。
「仕方ないことだ」と自分に言い聞かせながらも、うまくいかないことに苦しんでいる。
だけど本人は、自分を「生きづらく」した元凶である家庭に対しても変わらず優しさを持ち続けている。
私は、そんなぽんさんに心の底から驚かされ、同時に救われてもいる。
こんなに優しい人間も世の中にいるんだなと素で思った。
彼のような優しさがあるから、私は私でいられる。
やっぱり私は、ぽんさんにこれ以上傷ついてほしくない。
私が根に持つタイプで、彼ほど優しくないからかもしれないけれど、大切な人を苦しめた原因はどう頑張っても好きになれない。
だけどぽんさんの優しさと心を守っていくためには、彼の「それでも家族が好き」という気持ちすらも否定せずに、ただ見守るしかないのかもしれない。
ぽんさんのような底なしの優しさに、私は何度も救われ、何度も手を引いてもらった。
世界がどんなに不条理でも、傷つけられながらも、優しさを手放さなかった彼のような人がいる。
私はその優しさに支えられながら、私がその優しさを守る側に立ちたいと思っている。