断れない夫と、“優しさ”の正体。ASDとAC、重なる気質の中で

謙遜じゃない、「優しいね」に戸惑う理由

ぽんさんは、誰かに「優しいよね」と言われると、少し戸惑った様子を見せる。
素直に「ありがとう」と言えばいいのに、たいていは「いや、そんなことないよ」「そういうわけじゃないんだ」と、やんわり否定する。

それを見た人は、「謙遜してるのかな」とか「いやいや、優しいよ」と返してくれる。
私も昔はそう思っていた。

「優しくなきゃ」──ぽんさんが背負う無意識のルール

でも、今の私は知っている。
ぽんさんがその言葉を素直に受け取れない理由を。

ぽんさんには、「優しくなきゃいけない人間なんだ」という強い意識がある。
本人もそれにうっすら気づいているけれど、そのルールの正体は長らく掴めずにいた。

本音が言えるのは“安心”の証

元々ぽんさんは、初対面の人と話すのがとても苦手だ。
雑談も得意じゃないし、集団の中にいても自分から発言することはほとんどない。
いつも控えめで、聞き役に徹している。
相手に合わせすぎて、自己主張は極端に少ない。

そのわりに、私と二人でいるときには、案外はっきりものを言う。
たとえば「今日はちょっと出かけたくない」とか、「今それはやりたくない」とか。

最初は少し驚いた。
でも、ぽんさんは「おとまるには言えるんだよ。安心してるから」と言った。

そう言われて、私はうれしかった。
だけどふと、私にだってそこまで断られた記憶がないことに気がついた。

私が何か頼んだとき、ぽんさんが断ることはあまりない。
たぶん、それはぽんさんの懐が広いのだろうと思っていた。
でも、もしかしたら「断れない」のかもしれない、と思うようになった。

ASDの特性と、目立たない努力

職場でも、ぽんさんはよく頼まれごとを引き受けていた。
ちょっとした雑用から、一連の作業の肝心な部分まで。
「ぽんさんに頼めば、なんとかしてくれる」と思われているようだった。

悪く言えば、ぽんさんに自分の仕事を押し付けていた人もいた。
ぽんさんが文句を言わずに引き受けてくれるから。

でも実際には、そうやって押し寄せる依頼の数々に、ぽんさんはひっそり疲弊していた。
「断ったら嫌われるかも」とか、「自分が我慢すれば丸く収まるから」とか、そんな気持ちが先に立ってしまい、気づけば抱え込みすぎて動けなくなっていることもあった。

「波風を立てたくないから」と、ぽんさんはよく言っていた。
「だから、なるべく目立たないようにしてる」

それはきっと、ASDの特性もあるのだろう。
予測できないことや対人関係のストレスを避けるために、自分をなるべく目立たせず、感情も出さず、空気に合わせる。
それがぽんさんなりの、生きるための術だった。

「優しい人」にならないと、生きていけなかった

それに加えて、ぽんさんの中にはアダルトチルドレン(AC)としての傷もある。

アダルトチルドレンとは、家庭環境や親との関係において、子ども時代に心の安心や信頼を築けなかった経験を持つ人のことを指す。
家庭内で感情を抑えたり、期待される役割を演じたりするうちに、「本当の自分」を出せなくなってしまうことがある。
ぽんさんの場合、それは「優しい人でいなきゃ」という形で表れていた。

子どもの頃から、「いい子でいなきゃ」「人に迷惑をかけてはいけない」「嫌われたら生きていけない」といった強い刷り込みがあった。
だから、ぽんさんにとって「優しい」と言われることは、「ちゃんと人として合格点をもらえた」「つまりここにいてOK」というような、ある種の安心材料だったのかもしれない。

周囲の評価と自分の感覚がずれていく

でも同時に、「優しくない自分」は人に受け入れてもらえないのだという、無意識の思い込みが根深くある。

それに、ぽんさん自身は「本当は自分は優しいわけじゃない」と思っている。
だから「優しいよね」と言われるたびに、どこかで周りを騙しているような気持ちになってしまう。

「自分から見た自分」と「周囲から見た自分」のギャップ。
そのズレが、ぽんさんを疲れさせているのだと思う。

電車での出来事に見る、ぽんさんの本質

たとえば、ある日の電車でのこと。

隣に座っていた人が熟睡して、ぽんさんの肩にもたれかかってきた。
重いし、邪魔だし、正直気まずい。
私がぽんさんの立場なら、ちょっと体をずらして距離を取る。
相手がそれで目を覚ましても構わないし、なんなら「早く起きて頭を上げろ」という気持ちもある。

でも、ぽんさんは動かなかった。

「きっと疲れてるんだろうな」「起こしたら可哀想だな」

そう思ったのだという。
ぽんさんはそのまま、知らない人の枕役になっていた。
どれだけ肩が痛くても、邪魔でも。

そこに見返りはない。
ただ「相手が嫌な思いをしないように」と考える、それがぽんさんの優しさだ。

私はそういうところを、心底すごいと思っている。
私にはとてもできそうにない。

「やらない善よりやる偽善」が救うもの

「優しいね」と言われるたびに感じる居心地の悪さも、ぽんさんなりの歴史があってのこと。

優しさは、時に不器用で、そしてとても静かだ。
「やらない善よりやる偽善」──そんな言葉があるけれど、ぽんさんはきっと、「やる優しさ」を選び続けてきた。

それでも、その優しさに救われる人がいる。
ぽんさんが気付かないだけで、ちゃんと届いている。

私は、何度もそれに救われてきた。