もくじ
「また同じこと言ってる」と思う日々
ぽんさんと暮らしていると、驚くほど同じ話題が何日も続くことがある。
昨日も言ってたし、その前の日も同じ話をしていた。
何か相談をされて、「こうしてみたらどうかな」なんて私が提案して、「そうだね」とぽんさんが納得して終わっていた…はずの話。
でも本人は、まるで初めてそのことを口にするかのように真剣だ。
当然私は「あれ、それ昨日解決したじゃん?」って聞く。
でもぽんさんが実は納得してなかったり、結論が出たこと自体を忘れちゃってたり、納得したはずの結論についても悩んでいたり、状況は様々。
たとえば仕事のことで気になることがあると、ぽんさんはそれを何日もずっと考え続ける。
わたしから見ると「もう答えは出たんじゃない?」とか「今はそこまで考えなくても」と思うような内容でも、ぽんさんの思考は止まらない。
正直、わたしは同じことをぐるぐると考え続けるのがとても苦手で、むしろストレスになる。
だから、ぽんさんの思考パターンが最初は全く理解できなかった。
でも、これはASD(自閉スペクトラム症)の特性の一つなのだと後に知ることとなる。
ASDの「ぐるぐる思考」って?
ASDの人には、思考が一つのトピックに深く集中し、そこからなかなか抜け出せない傾向がある。
この「思考のこだわり」や「一点集中型の思考」は、一般的には“ぐるぐる思考”と呼ばれることが多い。
一度気になることができると、それに意識が集中しすぎて他のことが手につかなくなる。
そのことばかりが頭の中で繰り返され、時間が経つにつれてどんどんネガティブな方向へ思考が流れていく。
最初は小さな不安だったのが、数時間、数日と考え続けるうちに「最悪の未来」にまで発展してしまう。
実際には起きていない出来事をシミュレーションして、ひとりで落ち込むこともある。
そして残念ながら、解決や結論には至らないことがほとんど。
「最悪の未来」を想像して、頭の中では何通りもシミュレーションしているのに、どれも確信が持てず行動にはつながらないことが多い。
「堂々巡り」という言葉がぴったりだ。
ただ、ぽんさんにとっては「考えること」が「解決策」よりも必要なのかもしれない。
考えている間は、その思考の穏やかな波は一種の安全地帯で、変化が起きない空間だから。
あとは過度に失敗を恐れているからというのも大きそう。
失敗を恐れすぎて、失敗したくないからこそその手前で悩む時間が長くなる。
わたしから見える「時間の無駄」、でも本人にとっては真剣
ぽんさんのぐるぐる思考を見ていると、正直「時間の無駄では?」と思ってしまうことがある。
だって、何も解決していないし、何日考えても状況は変わらないからだ。
解決するならともかく、考え続けて疲れるだけの行為に何の意味があるのか分からなかった。
でも、ぽんさんにとっては“今そこにある悩み”にちゃんと向き合っているつもりなのだ。
わたしにはそれが理解しきれなくても、「彼にとっては必要なプロセスなんだ」と思うようにしている。
「もうその話はやめようよ」と突き放したくなる日もあるけれど、
なるべく「また同じこと話してるね」と笑って受け止めることが、わたしにできる小さな歩み寄りなのかもしれない。
ASDの治療法がないから
ASDの症状を改善させる薬物療法は存在しない。
だから生きづらさを減らすには、自己理解を深めていくしかない。
そのためには様々な支援やカウンセリング等も有効だ。
それはぽんさんの主治医にも言われていること。
ASDの症状は自分の特性として捉えて、うまく付き合っていく必要がある。
症状を治すのではなく、特性として受け入れていくイメージ。
正直、ぐるぐる思考が良いことだとは、私には思えない。
頭も疲れるだろうし、何より考え続けて解決もできず、結論も出ない…それを何日も繰り返し続けるなんて不毛すぎる。と、私は思う。
でも、「考え続けること」がぽんさんを支えているのだとしたら、他者に過ぎない私が口出しするのもきっと違う。
だから、ぐるぐる思考がぽんさんにとって必要なことで、それがメンタル維持に役立ってくれているならそれもいいと思う。
一緒に暮らしていく上で
ぐるぐる思考に巻き込まれているぽんさんは、目に見えて疲れていることがある。
「どうにもならない」と分かっているのに、それでも考えずにはいられない。
そんなときのぽんさんは、たいてい無口になって、視線が宙をさまよう。
そして、家事も手につかず、声をかけても反応がないことが多い。
そんなとき、わたしは「聞くこと」そして「待つこと」くらいしかできない。
何かを変えてあげることも、思考を止めさせることもできない。
だけど、少しでもぽんさんが“そのままでいられる場所”であるように、ただ隣にいる。
完全に理解し合うことは難しくても、お互いに歩み寄ろうとする姿勢が大切だと思うから。
違うからこそ見えるものがある
ぐるぐる思考は本人のせいじゃなくて「そういう思考の仕組み」なのだと理解することで、
わたし自身も少しだけ肩の力を抜いて向き合えるようになった。
私にとっては理解できないぐるぐる思考。
でも、ずっとぐるぐる思考だったぽんさんからすれば私のことも理解できないはず。
タイプが違う二人だからこそ、一緒にいたら見えてくるものもあるかもしれない。
結局私たちはどちらも未熟で、互いの言動に気付かされることが多いから。
ぽんさんが解決策を求めてきた時は私も一緒に考える。
思考の海に自分から潜っていくような時間が必要なときもあるなら、それも尊重したい。
きっと、「互いの性格も考えも違うことを理解した上で相手を尊重する」という意識は、
これからも一緒に暮らしていくうえで欠かせないことなんだと思う。