「怒ってるの?」無表情な夫とのコミュニケーション

無表情なぽんさんと、はじまりのすれ違い

最初は、ただただ不安だった。
私が話しかけても、ぽんさんは無表情で「うん」とだけ返す。
顔も上げず、目も合わず。

「え、怒ってる?」って何度も聞いて、そのたびにモヤモヤして――。
でもそれは、ぽんさんの特性によるものだった。
今ではすれ違いながらも、少しずつ理解を積み重ねてこれた気がしている。

何度も繰り返した「怒ってるの?」

「怒ってるの?」

ぽんさんと一緒に暮らし始めて、私が何度も何度も口にしてきた言葉だ。

ぽんさんはASD(自閉スペクトラム症)の特性もあり、もともと表情が乏しい。
無表情でいることが多く、私が話しかけても眉一つ動かさずに「うん」「ふーん」と返してくる。
こっちはニコニコしながら話しかけてるのに、返ってくる反応が淡々としていて、つい不安になる。

「え?怒ってる?なんかイヤだった?」と聞くと、ぽんさんは決まって少し眉をひそめて「…なんで?」とだけ言う。
その「なんで?」が、またちょっとトゲがあるように感じてしまって、「やっぱり怒ってるじゃん!」と私は思ってしまう。

でもぽんさんからすれば、それは“怒ってる時の反応”じゃないらしい。

「怒ってないのに、怒ってると思われるのが嫌」

後で落ち着いた時にぽんさんがぽつりとこう言ったことがあった。

怒ってないのに、怒ってると思われるのが嫌なんだよね。

なんてことない会話だけど、その言葉がちょっと胸に刺さった。
怒ってるかどうかじゃなくて、「怒ってるように見える」と思われること自体が、ぽんさんにとっては傷つくことだったのかもしれない。

クールな人、じゃなくて伝わりにくい人

ASDの人には、「感情表現が分かりにくい」「表情が乏しい」といった特徴がよく見られると言われている。
「感情表現が控えめ」とも言う。例えば「ありがとう」という言葉一つでもなかなか口にしなかったりする。
でも、それは当たり前だけど感情がないわけじゃなくて、表に出すのが難しいだけだったり、感謝を表現しているつもりでも相手に伝わりにくかったりするだけだ。

実際、昔ぽんさんがASDだと知る前に「言葉が足りない!」と私が怒って喧嘩になったことがある。
「洗濯と掃除をするのは感謝の表現」というようなことを言われてひっくり返ったことがある。
家事をする=感謝の表現とは、私の発想にはなかった。

表情の出方って、本人が思っている以上に外からの印象に影響する。
特にぽんさんみたいに職場でも無口で感情をあまり顔に出さない人は、「何考えてるか分からない」とか「クール」と言われやすい。
でもそれって、ぽんさんにとっては“褒め言葉”というより、“距離を感じる言葉”だったみたいだ。

クールなだけじゃない、家で見せる表情

ただ、外では無表情なことが多いぽんさんだけど、家では全然違う一面もある。
ふざけて変顔をしたり、動画を見ながら爆笑したり、たまにくだらないダジャレで私を笑わせようとしてきたり。
私のどうでもいい話を聞いて笑ってくれることも多い。

特にベルと遊んでいる時はいつも笑顔で、穏やかだ。
そんな瞬間を見ると、「ああ、ぽんさんの感情はちゃんとここにあるんだな」と、ちょっと安心する。

ベルがくれた、やわらかな時間

そしてもう一つ、大きな変化があったのはベルを迎えてからのこと。
ある日ふと、ぽんさんから「最近よく笑うようになったね」と言われた。
その言葉を聞いたとき、私は驚いた。
自覚がなかったこともあるけれど、ぽんさんの方がよく笑うようになったと思っていたから。

思い返してみれば、ベルを迎えてから、ぽんさんの表情はかなり柔らかくなった気がする。
無表情でぼーっとしている時間よりも、ベルと遊びながら笑ってる姿の方が増えたように思う。
何か特別なことをしなくても、ベルがちょっとしたしぐさをするだけで、二人で顔を見合わせて笑ったりする。
そういう何気ない時間は私にとってとても幸せだ。

表情じゃなくても気持ちは伝えられる

それでも、感情のすれ違いはゼロにはならない。
だからこそ私たちは、話し合うときにペンと紙を使って、図にして気持ちを整理することもある。

特に意見がぶつかった時や、何がすれ違ったかよく分からない時は、ペンと紙を持ち出す。
「私はこう思ってて…」「この次はこうしたらいいと思って…」と矢印を書いたり、気持ちを丸やふきだしで描いたり。
言葉で伝えきれない部分が図にすると見えてきて、「ああ、そういうことだったんだね」とぽんさんもすんなり納得してくれることが多い。

ぽんさんの飛び飛びの話の中に出てくる職場の人間関係も、聞いた話を拾い集めて相関図を書いてみたりした。
そうすると私にとってもぽんさんの話がわかりやすくなる。

そんなふうに、私たちはいろいろな方法でお互いの気持ちをすり合わせてきた。

無表情と、今日も向き合っていく

暮らし始めのころ、ぽんさんが無表情でいると、私はすぐに心配になった。
でも今は、「怒ってる?」と感じたときも、「きっとこれは“ぽんさんの通常運転”」と思えることが増えてきた。

もちろん、今でもまだたまに「怒ってる?」って聞いちゃう。
でもそれは、“ぽんさんを理解しようとしている”私なりのコミュニケーションでもある。
二人のコミュニケーションなので、どちらか一方だけが我慢するべきではないと私は思っている。

だから、「無表情の時は不機嫌なわけじゃないって一応知ってはいるけど、心配な時は聞いちゃうと思う」と先に伝えておく。
ぽんさんにも私の不安を知ってもらい、どうしても心配な時は聞いてみる。
ぽんさんもそのことを知ってから、時々挙動不審な動きをしてふざけてみせたりして、怒ってないアピールをしてくれるようになった。

すれ違うこともあるけれど、すれ違いの先に、ちょっとずつ理解が積み重なっていけばいい。
同じように、大切な人の気持ちが分からなくて悩んでいる人がいたら、「無理に分かろうとしなくていい。少しずつ、本当に少しずつでいい」と伝えたい。
表情や言葉じゃないところに、想いがちゃんとあることもあるから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です