ぴくりとも動かなかったのに

ベルはよく寝る犬だ。
私も寝るのが好きなので、「ママに似たんだね」なんてぽんさんはよく笑っている。
ただ、お気に入りのベッドや私の膝でぐっすり眠っていたはずのベルが、突然シャキッと起き上がって走り出すことがある。
それは、ぽんさんが靴下を脱ごうとしたときだった。
どれだけ深く眠っていても、なぜかその瞬間だけは聞き逃さない。
「え?今までイビキかいてなかった?」と思うくらいの爆速で、ぽんさんの足元へ駆け寄っていく。
Tシャツを着替えた時には反応もしないので、似たような衣擦れの音をよく聞き分けられるものだと感心してしまう。
耳ざとい、というより、もはや「靴下センサー」でも搭載されているのだろうか。
それ、ぼくの靴下でしょ?

どうやらベルは、ぽんさんの靴下を「自分のもの」だと思っているらしい。
ぽんさんが靴下を脱ごうとすると、「ちょっと!それ、ぼくにちょうだい!」とでも言いたげな勢いでアタックしてくる。
ぽんさんがうっかり脱いだ靴下をそのへんに置きっぱなしにしようものなら、ベルはすかさず持っていってしまう。
その得意げな顔ときたら、こちらの「返して~」なんてどこ吹く風だ。
気づけば部屋の隅や自分のベッドに、ぽんさんの靴下がポトリと落ちていることもある。
まるで戦利品でも眺めているように、前足でちょこんと押さえているのが可笑しい。
近付くと急いで靴下を咥えて逃げ出してしまう。
取られると思っているようだ。
履こうとしてもジャンプ!
靴下を脱ぐときだけでなく、履こうとしたときも反応する。
ぽんさんが靴下を持っていると、ベルはぴょんぴょんとジャンプして空中でキャッチしようと必死になる。
もちろん、ぽんさんは取られないように必死でかわしながら靴下を履こうとする。
このふたりのやり取りが、毎朝の恒例行事になっている。
ジャンプしても届かない。もうちょっとで取れそう、という位置で諦めずに粘る。
「それ、ぼくのだから返して!」くらいのテンションで頑張っているようにも見える。
不思議と、履いたら興味なし
でも不思議なことに、ぽんさんが靴下をちゃんと履いてしまうと、ベルはぱったりと興味をなくす。
「えっ…履いちゃったの?なんだ、もういいや」みたいな雰囲気で、すごすごと引き返していく。
あれだけジャンプしてたのに。あの情熱はどこへ?
履いてしまえば“ぼくの靴下”じゃなくなるのかもしれない。
“これからぼくのになるかもしれない靴下”にこそ、ベルの興味は集中しているようだ。
不思議な優先順位──ご飯より、靴下?
ちなみに、ベルはご飯に対しては意外と冷静だった。
寝ているときにカリカリとフードをお皿に入れても、目をうっすら開けてこちらを見るだけで、特に飛び起きたりはしない。
なんなら少し不満げで、「まだ寝ていたいんだけど」というような顔にも見える。
「ごはんだよ〜」と声をかけても、仕方なさそうにのそのそと起き上がってとぼとぼと歩いてくるだけ。
それなのに、靴下のときはまるで別犬のようにすっ飛んでくる。
目も耳も一気にシャキッとして、まるで「任務開始!」とでも言わんばかりに走ってくるのだ。
ペットってたいてい「ご飯には敏感」だと思っていたけれど、ベルはちょっと違っていた。
うちの場合は、ご飯 <<< 靴下 だった。
日常のなかの、ふふっと笑える時間

ベルがいつまでこの「靴下センサー」を発動するのかは分からない。
そのうち飽きてしまう日が来るかもしれない。
でも、今日もまたぽんさんが帰宅して、靴下を脱ぎ始めると、ベルはぴょこんと飛び起きて走っていく。
何気ない朝の支度の時間が、ベルのおかげでちょっと笑えるひとときになる。
「また靴下取られそうだったね」
「今のジャンプ、めちゃくちゃ高かった」
そんな他愛ない会話が増えることが、すごく嬉しい。
きっとこれからも、ベルは寝ていても靴下の気配を察知して飛び起きる。
ぽんさんはうっかり油断して、脱いだ靴下をベルに持っていかれる。
“日常”の中に潜んでいる、こんな小さな謎と、小さな笑い。
それを一緒に見つけながら過ごせるこの時間を、私はたまらなく愛おしく思う。